免許の書き換えに行く。
始めて取ったのは16歳のとき。今回で、手元の古い免許証が10枚になる。早いものだ。
受付で更新料を払い、加齢で不安だった視力検査もクリア。30分の講習会を受ける。といっても、大半は映像を眺めるだけ。終わるころには免許証が出来上がっているはず。
映像前半は、事故シーンだった。乗用車と自転車がぶつかりボンネットに人が乗り上げたり、トラックが子供の体すれすれで停止したり。ドライブレコーダーが撮った事故映像だ。伝えたいのは、人の不注意が如何に「悲惨」な結果を産むか、ということ。当然、刺激的な内容になる。
しかし、今回はあまり刺激を感じない。なぜだろう。
(見慣れてしまったんだ)
テレビのニュースやワイドショーなどで、ドライブレコーダーのショッキングな事故シーンは、頻繁に流れている。耐性が付いてしまったらしい。
事故シーンの映像が終わり、被害者の語りに切り替わる。トラック事故で、小学生の息子を亡くした母親の話だ。
「息子が死んだあと、お正月のかがみ餅を片付けてたら」
(ふむふむ)
「いたずらしたんでしょうね。お餅の裏に『チューリップのタネ』がたくさん刺さってて」
(面白い息子さんだ)
「このことを、息子が通ってた学校の先生に話したら『学校に植えましょう』とおっしゃって」
(…)
「卒業式の頃には、チューリップが満開に」
いい話だなぁ。
加齢で衰えたのは視力だけではない。「いい話」耐性も衰え、涙もろくなっている。まさか、免許の講習映像で涙ぐむ羽目になるとは…。
(いや、ちょっと待て)
「いい話」にしちゃダメでしょう。感動させてはダメでしょう。事故の結果は常に「悲惨」。鉄則です。戒めとしなければ。
「いい話」のおかげで、その後のハイビームやら酒気帯び運転やらの話は全く頭に入らず。「いい話」のみを印象に残し、講習会が終わる。
悪い気分ではない。戒めの機会は、自分で作るとしましょう。