先天的男と後天的男

高校時代の友人と会食をする。
友人が予約してくれたのは、ピザ・パスタ食べ放題・飲み放題プラン。場所はオフィス街のイタリアンレストランである。

席につく。、最初にピザとパスタを1つづつ選ぶのがルールらしい。
定番にしょう。生ハムのピザ。ボロネーゼ。

サラダ、前菜が順に運ばれてくる。

そしてピザ。生ハムたっぷり。とりあえず6分の1食べる。

「うん?」

おい。君も食えよ。
うん。
ピザ残3分の2。

「ちとやばい」

ここでボロネーゼの登場だ。濃厚な牛肉ソースパルメザン入り。
一口目。うん。旨い。でも…。

「満腹近し」

それはそうだ。

友人は、もともと小食。私は30代で胃弱になり小食に。
つまり「先天的小食」と「後天的小食」の二人なのだ。食べ放題って…高校時代のノリで、申し込んだでしょ?

時代は変わり、自分はもっと変わる、いや劣化するのだ。

「もう、お腹いっぱいですか?」

店員の女性が声をかけてきた。いやぁ…。

「パスタでしたら、少ないサイズが作れますので、いかがでしょう?」

ではそれで。カルボナーラを3分の1くらいの量で。

届いたカルボナーラを、2人で6分の1づつ。あぁ美味しい。
満腹でなければ、もっと楽しめたものを。

次回は量より質、いやいやこの店は質も相当いいんですけど。

「分かりやすい文章の書き方」の本が読みづらい

ブログやエッセイを書く人なら、一度は「わかりやすい文章の書き方」的な本を読んだことがあるのではないだろうか。ご多分に漏れず、私も何冊か読ませてもらっている。

しかしこの手の本、書く側からすれば相当のプレッシャーのはず。内容に間違いがあってはならないし、誤植の許容範囲も狭い。さらに、Amazonで「文章の書き方の本なのに、文章がわかりづらい」なんてレビューを書かれたら、相当恥ずかしいのではないだろうか。

結果、この手の文章本は、内容がわかりやすいものが多い…わけではないのだ。

プレッシャーをはねのけ、作者の鈍感力さえ感じさせる、「力作」が結構ある。

先日読んだのもそんな一冊だった。

最初の1ページ。

「読者にとって読みやすい文章をつくるべきです」
「わざと難しい用語を使って、見栄をはるのはやめましょう」

ふむふむ。

「文章がわかりづらくても、あなたの頭が悪いのではありません。文章の書き方が悪いのです」

なるほど。

「…あぁ、こういうことかな?と思って、それでも『隔靴掻痒』」

隔靴掻痒?

ご丁寧に「かっかそうよう」と、振り仮名を振ってるところを見ると、「難しい単語」と知りつつ使っているらしい。

「わざと難しい単語を使って、見栄をはるのはやめましょう」と返したい。
「私の頭が悪いのではありません」と訴えたい。

そんな訳で1ページで断念となりました。

 

※【隔靴掻痒(かっかそうよう)】かゆいところに手が届かないように、はがゆくもどかしいこと。